私は、昭和40年三原工業高校(現、如水館高校)電気科を卒業後、広島建設工業(株)(現(株)ソルコム)に入社した。

この会社は当時電電公社(現NTT)から発注される電話工事を受注、施工する中国五県での最大手の会社であった。

入社が同期の友達など、特に親しい仲間が徐々に増えつつあった入社から5年目の23歳になりたての頃、その仲間の一人から「おい、眞田君、会社を辞めて独立しないか?」と、持ちかけられた。

そして「君がその気になるのなら一緒に会社を辞める人は10人近くいるんだけど・・・・」と指を折りながら言う。

ただ、しかし、現状のサラリーマンとしての給与や待遇は、何の不足もなく、将来性も前途洋々であった。



それでも、「よし!やろう!!」と決断した。

その理由は、二つである。

一つには、“仲間同志で仕事ができたらどんなに楽しいだろうか!”という期待感であり

二つ目は、“独立”と言う言葉への憧れ、「何かいいこと」がありそうな冒険心だったと思う。



ところで、今、思う。

最終的に、23歳の私達は7人で一致団結、独立したのだが、不思議なことが一つある。

それは、独立の目的の中に「お金を儲けよう、貯めよう。」などと、金銭的な欲望にまつわる話が皆無であったことである。

もちろん、会社を設立するということは、経済活動、そのものであるのにも関わらず、至極、初歩的な常識論すら心得ていなかったのだ。

贔屓目に考えて、そんなことよりも前述の“仲間同士で生活できる”という子供心(?)が最優先したのかもしれないが・・・・・。

いずれにしても、この無知さ加減が、後々、数十年間も私たちを悩ませ、苦しめることになろうとは、この時に、知る由もなかったのである。



こうして、昭和45年3月に会社を設立した。

“人” “物” “金” 何一つ無い、有るのは“団結”のみであったため、社名は“団結”を表す“一心通信建設(株)”と命名した。

資本金は、全員の退職金と各個人の貯金を合わせた100万円であった。



かくして、私たちの船は、約5年間で蓄積した技術力と7人の団結力をエンジンに、海の彼方の見知らぬ国へ、誰の道案内も無く出港した。

この時、私は“未知への遭遇”に対する武者震いもさることながら、不安などということを、とっくに通り越した焦燥感、いや、恐怖感を肌身に感じていた。

同時に、湧き上がってくる責任感と使命感にも悪寒すら覚える有様だったことを覚えている。

それでも、このような経験をさせてもらえる仲間に言葉では言い尽くせない感謝を抱きながら、心の中で、「この仲間を必ず幸せにして見せる」と力んでいたことも事実である。
scroll-to-top